〜東方童子異変〜

一章ノ壱《事の始まり》


 妖怪の山、その上空。哨戒中の犬走椛は異変を感じ、その場所へと向かっていた。
 千里眼で見通すまでもない。この爆音、山のどこかが崩れたのだろう。

(どの程度の被害か、報告しなければいけないでしょうね)

 溜め息を一つ。任務とはいえ、どうもこれは面倒くさそうだ。

(しかし、この山に土砂に呑まれるようなノロマはいないと思いますが……)

 今、妖怪の山に住んでいるのは主に天狗か河童だ。
 川辺に住んでいる河童が土砂に巻き込まれる事はまずないだろう。巻き込まれるとしたら椛の同族である天狗だが――巻き込まれたそれは最早天狗とは呼べない。
 天狗とは最速の妖怪だ。例えばとあるパパラッチ鴉天狗なら、それこそ土砂崩れの先端に触れてからでも余裕で逃げ遂せるだろう。
 土砂崩れの現場と思われる上空で椛は停止した。しかし、どうも予想していた物と違う。

「……崩れたというよりも、地盤が沈下したみたいですね」

 おそらく地盤が緩んでいたのだろう。ぽっかりと大地の一部が沈んでいるという、山で起こるには不自然な崩れ具合だ。原因は数か月前天人が起こした大地震に違いない。
 椛は溜め息をついた……本当に、なんて迷惑な。

「はぁ……一部の天狗だけですよ、喜びそうなのは」
「そおさねぇ、文辺りならもう来ても可笑しくないのにねぇ〜」
「――っ!? 誰だ!!」
「下だよ下、土砂の中さね」

 椛は驚いて目を凝らした。妖怪の気配はなかったはずだ。いや、今もない。
 今度は千里眼で土砂を見通す。確かに、辛うじてだが何かが――?

「あー退いといた方がいいよ? 飛ぶから」
「え? ……きゃ!?」

 眼前に迫る土柱を何とかグレイズ、或いは弾幕で弾く。
 慌てて地上に降り立つ椛を待つように、一つの影が手を振っていた。

「いあいあ、悪いね。何分久方ぶりでどーも加減がねぇ」
 土埃を払っていたその影は女性の姿をしていた。
 艶消しの黒髪に一頭抜けた長身に、女性特有の丸みを帯ながらもハリのある細い四肢。身体の上に赤い濃淡がかかった童子格子の薄手の着物をゆったりと羽織っている。中に見える薄い蒼色は作務衣だろうか?

「……人間、ですか。如何様にしてこの領土に入った!」
「人間? あぁ、これは──」
「この地は我等妖怪の領土だ! 人間がこの地を踏む事許さん!!」
「全く、いつの時代も白狼天狗は話を聴かないねぇ。私は──」
「二度の警告はない! 即刻この地から立ち去れ!!」
「……本当に無礼になったもんだねぇ、天狗風情が」

 ゾワリ、と椛の全身に悪寒が走り抜けた。長年、強者ばかりのこの山で哨戒を続けた天狗としての勘。それが目の前の存在を危険だと認識している。

(……まさか、あの白黒のような人間だというのでしょうか?)

 巫女でもなく、数々の異変に武力介入してきた人間。
 圧倒的な力を持つ弾幕の嵐で相手を葬り去る魔法使い盗賊!
 そう言えば、紅白巫女も金儲けには目がないと新聞には書かれていた。

(なおさら行かせる訳には!!)

 この山には様々な妖怪の宝物が存在する。もし、鬼の秘宝にでも手をつけられたら──

「それ以上は止めた方がいいですよ、椛」
「文様……」

 妖怪パパラッチ鴉天狗の射命丸文が椛の動きを扇子で制した。
 鴉天狗の一般的な服に、何故かもつ大天狗の扇子と首にかけた取材カメラ。何時も通りの服装の彼女は、だがしかし何時もの笑みを浮かべてはいない。

「おや、文じゃないか。久方ぶりさねぇ」
「ええ、久しぶりですね。どこも御変わりないようで安心しましたよ、朱天さん」

 朱天と呼ばれた彼女は人好きしそうで人懐っこそうな笑みを浮かべる。

「変わりゃしないさ、たった数百年ぽっちじゃねぇ」
「数百……ッ!?」

 椛が驚きに声を漏らしたのは無理からぬ事だった。『たった数百年ぽっち』などと言えるほど、彼女は生きていない。そんな言葉をスラリと言えるのは、実際にそれだけの時間を生きてきた大妖だけだ。

「椛の無礼は私も詫びましょう。ですから、どうか椛を許してはくれませんか?」
「許すも何も……この白狼天狗は自分の職務を忠実に果たしていただけさね。なら、私が責める事も私に詫びる事も何もないさ」

 日常殆んど見ない文の謝罪に、今さら、椛は自分が本当に危険な状況に置かれていた事に気付いた。同時に、文の対応から朱天の正体について一つの予測が立ち上がる。

「まぁ、私も悪かった訳だしねぇ。ちょいと離れてくれ」

 尻切れ草履で朱天が大地を叩く。椛がそれを理解するより早く、その様相に変化が生まれた。
 朱天の細腕、細足に蛇のように絡む八本の鎖。今にも暴れださんとする鎖は二本ずつ手足の枷に繋がれている。その腰には酒瓢箪、片手には小さな猪口。そして──頭に二本の角。

「なぁ文。私が眠った数百年間、一番の大事は何だった?」
「あやや、そうですねぇ……」

 椛には解った。文が悩むふりをしているだけなのだと。そして、朱天がそれを理解しながらも焦らされているのだと。
 たっぷりと悩むような仕草を見せた後、文は楽しげに口にした。

「実はですね、この山が幻想郷入りしたんですよ」
「────……はは」

 朱天はほんの一瞬キョトンとすると、

「あははははっ! そりゃ通りでいつまで経っても私が起きられない訳だ! たっは〜こいつは全くまいったねぇ! あはははははっ!!」

 まさに彼女の正体を表すよう、豪快に笑い始めたのだった。


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