「ティニス、いるんでしょ! 早く出てきて!!」
町の人達が噂している――フランが襲われた――件の森の入り口で、ツェツェは声を張り上げた。
「ねぇ、お願いだから!!」
深夜の静寂を叩きわるような声量。しかし、瞬く間もなくその声は森の闇へと飲まれてしまう。不安に駆られ、ツェツェは再び大きく息を吸った。
「ティニス――」
「煩いなぁ……聞こえてるよぉ」
一際巨大な大樹の枝に、いつの間にかその声の主は逆さにぶら下がっていた。ボロ布のような下着姿で現れた少女は、半日ほど前、間違いなくフランを襲った少女だ。
「まぁ〜たボクを叱りに来たの? 別にどんな格好してもボクの自由! イタズラも止めないよ!!」
普段ならその通りだろう。年頃の女の子がするような格好ではない、と小一日ほどサンドウィチでも餌にして、笑い話をしながら説教するところだ。
しかし、今はそんな場合ではない。町の集会で、ある話を聞いてしまったのだ。
「明後日、この町に軍隊が来てこの森を燃やし尽くすって……森にいる皆を皆殺しにするって……」
眠たげなティニスの顔が、紅葉したように真っ赤に染まった。
「何それ!? この森が! 人間にどれだけ……っ!!」
「だから早く逃げて、ティニス!このままじゃ貴女も殺されちゃう!!」
「嫌だ!!」
ティニスが大地に飛び降りる。急いで駆け寄ったツェツェを、ティニスは背を向けて片手で制した。
「ボクは嫌だよ……! こうなったら、ここから人間を全員追い出してやる……!!」
「ティニス!!」
ツェツェの声かけも虚しく、ティニスは森の奥へと消えていった。
やると云えばやる、ティニスという少女はそういう子だ。
何がなんでも連れ戻さなきゃ。そう意を決し、ツェツェは森へ踏み込み――
「いや、彼女が黒の森の悪魔ですか。なかなかに可愛らしい。将来が楽しみですねぇ」
背後からの言葉に、ツェツェは驚いて振り返った。
「こんばんわ……ですかねぇ?」
そこに居たのは、メガネをかけた一人の青年だった。
黒を基調としたローブを纏い、その腰には分厚い本のようなものが下げられている。柔らかくも、どこか腹にイチモツ抱えていそうな笑みを浮かべた青年。
あまりに怪しい。だが、ツェツェが注目したものはそれらではなかった。
ツェツェが見止めたもの、それは――
「私はまぁエクソシストのようなものをしている、リーネ……おやぁ?」
首からかけられた、一本のクロス。
考える前に、ツェツェの身体は動いていた。ツェツェの両手が、青年の行く手を阻む。
「お、お願いします! 私はどうなってもいいから彼女は見逃してください!!」
「ふむ……いやいや」
突然のツェツェの行動に、青年はどこか困ったように口を三日月にして微笑んだ。
「私は貴女方の味方ですよぉ」
「…………え?」
「私の名前はリーネフと言います。綴りは《RIRNEF》……とまぁお分かりの通り、この辺りの者ではありません。呼ぶならリーネフでもリーでもネフでもお好きなように。あぁ、やはりと言いますかリーは止めてください。別の国のものになってしまいますからねぇ。ちなみにネフとはとある国では教会の身廊の事でありまして。あぁでもネルフとかは――――」
唐突な展開に追い打ちをかけるように、リーネフと名乗った青年が矢継ぎ早に言葉を紡いでいく。頭が追い付かず、ツェツェは茫然と聞き流すことしかできなかった。
しかし、
「可笑しいとは思いませんかぁ、貴女は?」
この後の言葉だけは、何故か耳に強く残った。
「確かに、人間はこれ以上無く神に愛されています。ですが、ですがねぇ?」
『だからと言って人間如きの為に我々が滅ぼされる。そんな未来が許されていいのでしょうか? 我々以外の《イシ》によって、ねぇ?』
「そ、それは――」
……グゥゥゥ〜
「…………え?」
「あ、あぁ〜いやいやお恥ずかしいですねぇ。ここ半日ほど、何も食べていなかったもので……」
リーネフは唇を三日月に歪めると、
「どこかに泊まる事が出来る場所はありませんかねぇ? 絶対に猫のいない宿屋で。生理的に受け付けませんので。あぁでも蛇はもっとダメでしてねぇ。どこか弟っぽいんですよぉ、性格とか中身とか総てとか。できれば犬が百一匹くらいいるような美味しい鶏肉料理の出る――あぁ名前の一部のRIRとは、ロードアイランドレッドという鳥肉の頭文字でもありまして――」
「えぇっと……取りあえずウチ、来ます? ……って、聞いてますか?」
リーネフの言葉が止まったのは、朝日が昇り始めた頃だった。
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